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BREWERY 蔵元

安井酒造場

滋賀県 甲賀市

代表銘柄: 生酛太郎

概要

滋賀県甲賀市土山町。ここはかつて東海道五十三次の49番目の宿場町「土山宿」として栄え、険しい鈴鹿峠を越える旅人たちの喉と心を潤してきました。 安井酒造場は明治17年(1884年)の創業以来、この旧東海道に面した地で酒造りを続けています。今では町にひとつとなった家族で営む小さな小さな酒蔵です。…

代表銘柄

生酛太郎

蔵元・杜氏OWNER / TOJI

OWNER / 蔵元

安井 太郎

身長188cm 体重90kg 32歳 バズライトイヤーに似てると言われます。 スポーツはラグビーをしていました。お酒は飲むのも造るのも大好きで、最近は焼酎が好きです。19歳から秋鹿酒造さんで4造り、熊澤酒造さんで2年修行しました。その後令和元年より実家である安井酒造場に戻り、酒米造りと生酛造りを開始。昔のデザインや音楽が好きで、ラベルにもそんなテイストを入れ込んでます。いまは耕運機で田んぼを耕してますので、お酒をたくさん売って、トラクターと積車を買いたいです。生酛造りで、失敗から生まれた新たな手法を形にするため、手探りで試行錯誤しております。好きな食べ物はトウモロコシです。

TOJI / 杜氏

安井 利晴

1997年、それまでの能登杜氏からすべてを学び蔵元杜氏になった。 杜氏からはいつも「酒造りは簡単に考えたらいいんやで」そう教えられ、自らの五感を頼りに、赤ん坊の様にもろみの顔色をうかがう。 “簡単に考える”それは酒と柔軟に向き合えるという事であると、その後おやっさんの言葉が胸に響いた。 師から学んだように、今後は次世代を育てる重要な役目を果たしていかなければならないと考えている。 昭和60年 東京都福生市熊川 石川酒造株式会社入社 昭和63年 滋賀県湖南市   北島酒造株式会社入社 平成 2年  蔵へ戻り能登杜氏 安栗杜氏に師事 平成 9年  蔵元杜氏となる 平成24年 日本酒造杜氏称号認定を受ける

蔵についてABOUT

滋賀県甲賀市土山町。ここはかつて東海道五十三次の49番目の宿場町「土山宿」として栄え、険しい鈴鹿峠を越える旅人たちの喉と心を潤してきました。 安井酒造場は明治17年(1884年)の創業以来、この旧東海道に面した地で酒造りを続けています。今では町にひとつとなった家族で営む小さな小さな酒蔵です。鈴鹿山脈の山々に囲まれた土山町は、文字通り「土」と「山」が広がるまちで、鈴鹿山脈がもたらす気候と豊かな土壌に恵まれたお茶とお米の一大産地です。琵琶湖へと流れる一級河川の野洲川。その清らかな伏流水を無濾過で使用しています。

地域・風土LOCALITY

歌川広重が描いた東海道五十三次の49番目の宿場町である「土山宿」 鈴鹿峠を越えるために一泊する旅籠が立ち並び、旅人や行商人で賑わっていたと聞きます。 そんな方々の心と喉を潤してきた長い歴史のなかに安井酒造場はあります。 お祭りも多く、先日ユネスコ無形文化遺産に登録された「ケンケト祭り」では色鮮やかな孔雀や山鳥の羽を従えた少年たちが、五行の音に合わせ艶やかに舞い踊るお祭りで、宿場町に初夏の訪れを告げる紡がれ続けてきた美しい生命の躍動です。 そんな歴史のなかにはずっと安井酒造場のお酒があり、これから先もずっと地域に愛されるお酒でありたいと願っています。

酒造りの方針PHILOSOPHY

【数字ではなく、五感で醸す】 私たちの酒造りは、機械的な温度操作に頼りません。 酵素剤や高グルコース麹も使いません。 米の状態は、手触りで見る。 発酵は、泡の表情、香り、音、味わいで感じる。 もちろん数値を無視しているわけではありません。 けれど、最後に酒を決めるのは数字ではなく人の感覚です。 自然の揺らぎを均一化するのではなく、 土山町の水、土、風、人が持つものを受け入れる。 だからこそ、安井酒造場の酒には、 工業的に緻密に作られたきれいさではなく、 人の手と感覚が残る“意志のある味わい”があります。

目指す姿・ビジョンVISION

“常温で美味しい自由なお酒” いま目指すのは温度に囚われない液体を造ることです。 儒教の教えである「中庸」という言葉に惹かれました。過不足なく調和がとれた状態という意味をお酒に重ねて、味わいだけでなく温度も真ん中を目指そうとしました。 そのなかで軸となるのは、自分たちが好きなお酒かどうか。自分が毎日飲みたいと思えるお酒でないと、販売する時に良さを伝えきれません。燗酒蔵、冷酒蔵と派閥がわかれるような考え方はよくないなぁと思うので、間に入って酒の三原色みたいに幅が広がったら嬉しいなと思っています。 蔵のこれからは、酒米造りの規模を大きくしていくことです。酒米農家は確実に減りました。手間がかかるので誰にも頼めない米造りをして、それを液体にしたいので自分たちでやるしかありません。家族経営で人が足りないですが、楽しい方向へ動いています。

酒造りを始めた理由STORY

甲賀市土山町で酒造りを行うのは、宿場町であった歴史と、誇るべき「近江米と土山茶の一大産地」としての豊かな情景を瓶に詰め、都市部、そして世界へその価値を証明するためです。 当蔵がある場所は、かつて東海道五十三次の49番目の宿場町として栄えました。険しい鈴鹿峠を越える旅人たちが一泊し、疲れを癒やすために賑わったこの地で、旅人を潤すために生まれたのが私たちの酒造りです。鈴鹿山脈の清らかな伏流水と、豊かな土壌が育む美味しい近江米。さらに土山町は、古くから薫り高いお茶の銘醸地として知られています。まさにこの地は、古くから滋賀の豊かな食文化を支えてきた「近江米と土山茶の一大産地」であり、私たちはその背景や風土を五感で味わう酒を醸しています。 しかし現在、地域では高齢化が進み、かつての賑わいが急速に失われつつあるのが現状です。この課題に対し、私は単に地域の中だけで完結するのではなく、東京をはじめとする大都市圏や世界の市場で「認められた美味しいお酒」として評価を得ることに挑戦しています。外の世界で私たちの酒が認められ、その価値が高まることを地域の人々に伝える工夫をして、実際に体験してもらう。それによって、地元の方々が自分たちの土地に改めて誇りを持ち、地域全体が活力を取り戻すきっかけにしたいと考えています。 同時に、最も身近にいる地域の人々に日常的に愛され、受け入れられるお酒であることも、私にとっては同じくらい大切なことです。だからこそ私は、冷蔵庫で冷やすだけでなく「常温でも美味しく、自由な温度で味わえるお酒」を追求しています。日常の食卓に自然と溶け込み、祭りで酌み交わす。どんな温度でも肩肘張らずに楽しめる自由さ。その思想が地元の人々の楽しみとなり、五感で味わいを体験してもらうための架け橋になると信じています。 また、この地での酒造りは、土山茶との深い「互助のつながり」によって支えられています。当蔵の酒造りの季節には、土山町のお茶農家さんたちが蔵人として手伝いに来てくれています。そして、お茶の収穫や管理で最も忙しくなる今の時期には、私と父親の二人でお茶農家さんのもとへ手伝いに赴きます。 「冬は酒を醸し、春から夏はお茶を摘む」この、互いの繁忙期を支え合うお茶農家さんたちとの30年以上の関わり合いは、産地であるこの土地や気候だからこそ成立する、尊い産業の循環です。高齢化が進む地方において、手を取り合い、汗を流して伝統や人の営みを守り続けること。そして、誰もが自由な温度で楽しめるこの酒が市場で認知され、再び地域へと誇りとして還元していくこと。これこそが、今の時代に私がこの土地で蔵元杜氏として酒を醸す、最も深い意義です。

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