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BREWERY 蔵元

石井酒造

埼玉県 幸手市

代表銘柄: 豊明

概要

石井酒造は天保11年(1840年)に埼玉県幸手市にて創業しました。 『「一酔万笑」+「笑門来福」で「一酔来福」。つまり“一度飲んでしまえば福が来る”』をスローガンに掲げ、日本酒を通じて関わる人全員が「豊かに明るく」なれるようなお酒を醸すこと目指し、伝統を重んじながらも変化を恐れず、常にチャレンジを続けることをモットーに酒づくりに勤しんでおります。

代表銘柄

豊明

蔵元・杜氏OWNER / TOJI

OWNER / 蔵元

石井 誠

蔵についてABOUT

石井酒造は天保11年(1840年)に埼玉県幸手市にて創業しました。 『「一酔万笑」+「笑門来福」で「一酔来福」。つまり“一度飲んでしまえば福が来る”』をスローガンに掲げ、日本酒を通じて関わる人全員が「豊かに明るく」なれるようなお酒を醸すこと目指し、伝統を重んじながらも変化を恐れず、常にチャレンジを続けることをモットーに酒づくりに勤しんでおります。

酒造りの方針PHILOSOPHY

弊社の代表銘柄である豊明は人の心を”豊かに明るく”することを目指して醸しており、その名の通り豊かな味わいを表現するため、米の甘みと旨みを十二分に引き出した濃醇で甘口な酒質を根幹としております。ただ甘いながらも甘だれしない切れ味のある爽やかな酒になるよう設計しております。 また「去年つくったものよりも、もっといいものを!」をモットーに仕込みのレシピや設計は積極的に見直しを行い、変化を恐れない酒造りを心情としております。

目指す姿・ビジョンVISION

「飲む人にとってどのような存在になれるか」を考えるところから、石井酒造のお酒造りは始まります。どんなシーンで、どんな感情に寄り添うか、その為に求められる酒質はどう在るべきかを逆算して設計しています。飲んだ後の表情までを想像しながら、日々挑戦を繰り返して参ります。

酒造りを始めた理由STORY

創業主の初代石井欣兵衛は元々幸手ではなく、隣町の加須市(旧騎西町)で庄屋を営んでおりました。しかし天保の大飢饉をが起り、飢餓に苦しむ人々を見て「人々の暮らしを豊かにしたい」という強い思いから、人々の往来が多く宿場町として栄えていた幸手に、しかも日光街道と御成街道のちょうど分岐点にあたる場所に蔵を構え、酒を振る舞うことで人々を豊かにできるのではないかと思い、拠点を幸手に移して創業したとされています。初代の心意気はとても喜ばれ、宿場町のみならず江戸へもたくさんのお酒を振る舞ったと聞いております。 さて、時代は移り変わり、かつて隆盛を誇った幸手も明治維新以降徐々に廃れていき、東京のベットタウンとしての機能も失われ、今や県内40市の中で唯一5万人を下回る、消滅可能性都市として名前が上がってしまうほどの街となってしまいました。しかしそこに活路をがあると思っています。 今の時代、幸手に移住して定住する人を劇的に増やすのは容易ではありません。しかし、幸手を応援してくれる人、つまり「関係人口」を増やすことは可能です。 「クラウドファンディングを通じて酒造りを応援してくれる人。」「SNSで酒蔵の挑戦を見て、わざわざ幸手まで足を運んでくれる人。」「蔵開きで、石井酒造の酒を飲んで笑顔になる人。」など、今までも様々な形で地域との関係人口を増やす活動をしてきました。 かつて初代欣兵衛が、日光街道と御成街道が交わるこの地で、行き交う人々に酒を振る舞い「心を豊かにしたい」と願ったように。現代の石井酒造もまた、酒という触媒を使って幸手の内と外の人々を結びつける「ハブ」となることができます。 「天保の大飢饉」という未曾有の危機に直面し、人々の心を救うために創業したのが初代欣兵衛でした。「消滅可能性都市」という現代の静かな危機に対して、地域のアイデンティティを守り、新たな活力を生み出すために闘うのが、自分が八代目としてのバトンを受け取った使命だと思っております。 「幸手には石井酒造があるから、大丈夫だ。面白いことが起きている」 地元の人々にそう思ってもらえる未来を作ること。それこそが、この逆境の中で酒造りを続ける最大の意義だと考えます。 そして、この「人との繋がりを重んじる姿勢」は、一次生産者との関わりにおいても全く同じです。現在、弊社の主要原料米は、遠く離れた秋田県産の「改良信交」を使用しています。幸手での酒造りを掲げる私たちが、なぜ秋田のマイナー品種を使っているのか。それには深い理由があります。 実は以前、私たちの主要な原料米は地元の幸手の農家さんに栽培していただいていました。しかしある時、その方が急に離農せざるを得なくなってしまったのです。地域の農業が直面する厳しい現実を突きつけられると同時に、私たちは一番大切な米の仕入れ先を失い、途方に暮れました。 その窮地を救ってくれたのが、大学の先輩でした。秋田で酒米農家を営んでいた先輩にすがる思いでお願いし、私たちのために栽培を引き受けてもらったのが、この「改良信交」なのです。 私たちは酒造りにおいて「何を使うか(品種)」ではなく、「誰が作っているか(人)」を最も重視しています。お恥ずかしい話ですが、私自身、かつては仕入れたお米を「ただの原料」としてしか見ていませんでした。「今日は山田錦だから気合いを入れよう」「今日は一般米だから適当でいいや」といった具合に、生産者の苦労を汲み取ることなく、時には米を無駄にしてしまっても平気な顔をして仕込みに取り組んでいたのです。 しかし、地元の農家さんの離農という喪失を経て、秋田の先輩に米作りを託し、現地へ足を運んで交流を重ねる中で、私の考えは根底から覆されました。米を洗う時、蒸す時、触れるたびに、私たちの酒造りを繋ぐために泥まみれになってくれる先輩の顔が浮かんでくるようになったのです。そうなると、自ずと米一粒に対する向き合い方が変わり、作業の精度は上がり、結果として酒質も劇的に向上していきました。 今でこそ交流が増えてきたとはいえ、日本酒業界はまだまだ生産者との関係が希薄な面が否めません。米は流通に耐えうるため、全国からスペックやコスパ重視で買い集めることができてしまうからです。しかし、それでは作り手にフォーカスが当たらず、魂の入った酒は造れないと私自身が身をもって体感しました。 街の衰退や農業の危機という逆境の中で、私たちを救ってくれたのは「人との繋がり」でした。「どこで作られたか」「何を使うか」以上に、「誰が作っているか」。これこそが、今以上の酒質を求める上で譲れない信念であり、私たちが一次生産者との繋がりを何よりも大切にする理由です。

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