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BREWERY 蔵元

伊東

愛知県 半田市

代表銘柄: 敷嶋

概要

創業1788年(天明8年)、そして令和3年(2021年)。酒蔵がある愛知県半田市亀崎町はかつて江戸への海路を武器に220もの酒蔵があった酒処、知多半島の根本にあります。大正時代は中部地方最大規模の酒蔵でしたが、2000年に清酒需要低下の煽りを受け廃業。しかし、7代目の死をきっかけに9代目伊東優が再興を決意。土地建物の買い戻しやM&Aを行い清酒製造免許の再取得を実現。…

代表銘柄

敷嶋

蔵元・杜氏OWNER / TOJI

OWNER / 蔵元

伊東優

昨年同様

TOJI / 杜氏

中原悠太

昨年同様

蔵についてABOUT

創業1788年(天明8年)、そして令和3年(2021年)。酒蔵がある愛知県半田市亀崎町はかつて江戸への海路を武器に220もの酒蔵があった酒処、知多半島の根本にあります。大正時代は中部地方最大規模の酒蔵でしたが、2000年に清酒需要低下の煽りを受け廃業。しかし、7代目の死をきっかけに9代目伊東優が再興を決意。土地建物の買い戻しやM&Aを行い清酒製造免許の再取得を実現。2021年12月から再び製造を開始しました。「食の時間の価値をあげる」ことを目指し、流行りを追わずに、醸造が根付いた食文化に合った力強くも上品な食中酒を製造しています。

地域・風土LOCALITY

愛知県知多半島は江戸時代、全国2位の生産量を誇る酒処でした。市場は江戸。当時からブランドだった灘・伏見よりも地理的に近いことを活かし、一時期は江戸の清酒需要の30%を占める程であり、「中国酒(上方下方の真ん中の酒)」として人気を博しました。明治の初期には220もの酒蔵が知多半島に存在し、副産物である酒粕から製造される酢の蔵や味醂蔵が出現。また、酒蔵が廃業していく中で、酒税がかからない味噌蔵、たまり醤油蔵へ転身していったことから、全国でも類を見ない醸造地域に変わっていきました。ブランド牛、ブランド豚、養鶏などの畜産業やしらすや河豚等の漁業が盛んで若い農家も多く、食が非常に豊かな地域です。

酒造りの方針PHILOSOPHY

敷嶋にしか出せない味で、食の時間の価値を上げる。 知多半島は全国でも屈指の醸造文化であり、「UMAMIの首都」です。酒以外にも酢、味噌、味醂、たまり醤油の製造が盛んであり、畜産や漁業も積極的に行われています。かつて地域を創り上げてきた酒蔵だからこそ、敷嶋はそれらの旨味、つまりアミノ酸が強い味を昇華させる酒を造ります。強いUMAMIに負けない酒の骨格を造り上げながら、かつ上品な酸とキレの酒で口の中を洗い流す。流行りには流されず、アルコール度数やグルコース、酸を積み立てる「足し算の酒」として、独自の立ち位置をつくり上げます。

目指す姿・ビジョンVISION

ビジョン:敷嶋は、食のそばにあり続け、二百年後も定番の酒に。流行りに流されず、旨味をしっかり造りながら上品な酸とキレの酒をつくります。 知多半島は醸造が非常に盛んな地域。お酢、味噌、溜醤油、衣浦湾向こうの碧南は味醂の一大産地です。魚や貝の干物なども名産の、旨味成分が多い食文化となっています。知多半島の未来を考えた時に、この旨味が豊潤な食文化は地域の個性として残していくべきものと考えます。そのためには、醸造の基礎となる清酒の中で「旨味の代名詞」であり、食事中に旨味を際立たせる酒が必要です。しっかりと米を溶かし、かつ上品な後味に仕上ることで、旨味が豊潤なこの地域の食の傍らにい続ける。また、ミネラルを多く含む井戸水を使うことで海運業で栄えたこの地域ならではのニュアンスも表現します。知多の食文化をあらゆる地域へ伝え、「UMAMI」の宝庫としてこの地を知ってもらう。そのためのビジョンです。

酒造りを始めた理由STORY

※文字数制限なさそうなので長くなります※  これは今となったら自分の存在意義と同意です。  私自身、蔵元9代目として生まれましたが、高校1年生の時に酒蔵は廃業。この亀崎という土地にもほぼ関わることなく、東京の大学に進学、そのままNTTドコモで働いていました。 契機は2014年の祖父の死。祖父のなきがらの隣で飲んだ昔の敷嶋に衝撃を覚え、自分の存在価値を考え始めました。30歳近くになり初めて自分のルーツと向かい合い、10年以上ぶりに先祖が住んでいた住まいを見た時、敷嶋を飲んだときと同様の衝撃を受けました。京都などでは保存されていてもおかしくない建物。この建物はもう二度と造れない、そしてこのままだと朽ち、壊され、消えていく。それすなわち、自分がこの家で生まれ育った大事なルーツがなくなるということ。ただ、地域に産業はもうなく、潮干祭という文化が残っているだけです。このままだと消えゆく街になっていく。旨い酒をつくっていたこと、その酒が地域を繁栄に導いていたということ、そしてその文化を象徴するかのような建物を保持していたということ。これらが全て、自分が在る時になくなる。それは耐えきれないという想いが伊東を酒蔵復興という道に進ませました。  きっかけはこのような自分中心のことでしたが、今は上記に加え、地域の文化を背負っている自負を持って酒を造っています。知多半島は醸造が非常に盛んな地域です。酒だけでなく、酢・味噌・たまり・味醂等がすべて盛んであり、このような地域は他に類を見ません。それらの文化の礎は日本酒でした。220もの酒蔵が存在していたこの知多半島。酒粕を使って粕酢がつくられ、粕取り焼酎から味醂産業が生まれ、酒税を避けるように酒蔵から味噌蔵やたまり蔵に転身していった結果生まれた醸造文化。個性あるこの文化を今後残していくためには内需だけでなく地域からみた「外貨」を獲得していく必要があります。そのために個性である強みにもなり得る古い建物を「伊東合資」として外から人が来てもらえるような場所にすること、そして醸造文化が築いてきた「旨味が強い文化」をそのまま受け止め昇華させるようなお酒を造り、食べそして飲む体験を通じて知ってもらうこと。これらを成し得ることが敷嶋の存在価値であり、自分の存在価値であると思っています。また、それだけでなく地域の農家「農家のKT」と共に寒暖の差が少なく、あまり米作りに適していない知多半島でわざわざ米づくりをする意味、そしてその営みを続けるための方法を考えています。今期、酒米は再生二期作にチャレンジしています。いい米がとれるかどうかはわかりませんが、高温障害が恒常的になった今だからこそのチャレンジです。  最後に。愛知県は決して観光地ではありませんが産業地です。この地で沢山の産業が生まれ、地域や日本を育んできました。高度経済成長、そして空白の30年を経て、社会は大きくフェーズが明らかに変わっています。物質が豊かになった今だからこそ、150年前に地域の礎となった日本酒がまた産業として価値をつくり、生み出し、地域の一つの基盤となる未来を創っていきたいと思います。

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